歴女のアイドル倉吉先生

いのうえちず。

2012年03月13日 00:29

あまりに久しぶりの更新で申し訳ない。

さて、3月11日(日)の朝っぱらから、chojiさんと私が向かったのは座喜味グスク。
モモト10号(復帰40周年記念特集)の目玉コンテンツのひとつ、
沖縄の頭脳・高良倉吉先生(琉球大学教授)と、
南島詩人と県の要職という対極のわらじを2足はく平田大一文化観光スポーツ部部長との
対談のため。豪華な組み合わせでしょー!
まずはグスクのアーチで2ショット写真を撮り、それから島まるみぬ瓦家へ向かうダンドリでした。




日曜日の朝だというのに、いや、日曜日の朝だからこそか。
朝9時からひっきりなしに観光バスが来て、
そのたびに団体さんがゾロゾロとグスク見学に降車します。
レンタカーも貸し切りタクシーも、ほんとに切れ目がない。
観光客の精力的な観光っぷりにはビックリしました。

その合間をぬって、人がいない時間帯にパパパっと写真を撮るわけですね。

chojiさんは決めカットを撮るのは早いし、
倉吉先生も平田部長も、撮られ慣れてるから話は早い。
ところがですね、ある女子のグループが気づいて小さくキャーキャー言い始めたんです。

部長じゃなくて、倉吉先生のほう!



「…高良先生よね?」「うん、そうだよね?」
まじめでお利口そうな若い女子が4人。
「そうだよー」
と、思わずおばちゃんは答えてしまいました。

「きゃー!やっぱりぃぃぃ!」

え?なんだか違和感。このおじさんは学者さんで、アイドルじゃないんだよ?

「一緒に写真撮ってもいいですかぁ?」
「はいはい、どうぞどうぞ。だーだー、おばちゃんが撮ってあげよう、はい。
先生、真ん中に立ってください」

おばちゃん、やり手ババアのように仕切りました。
彼女たちは喜んで、次々にカメラやら携帯やらを出してきた。
次々に撮影する。chojiさんもコンデジのシャッターを押した。
「はい、おじさんのカメラ見てねー。はい、ポーズ!
次、こっちのカメラ見てよー」
おばちゃんはこういうのは慣れている。

「テレビ見ました~!プロジェクトXも~!」
え?まてまて。キミたちが言ってるのは、「プロジェクトX 挑戦者たち 炎を見ろ 赤き城の伝説 ― 首里城・執念の親子瓦」のことかい?
ちなみにDVDはこちら↓





彼女たち、修学旅行で沖縄へ来てるんだって。
…ってことは、高校生??? したたかちゅーばー歴女!!

ち「すごい、イマドキの修学旅行って、事前学習してくるんですねー!」
倉「彼らは味クーターよ。研究室にまで、コレについて答えてくださいって電話がくるからね」
な、なぬ!? どんだけ事前学習して琉球史のご本尊に直接電話してくるわけー?(笑)

それにしても、これだけ琉球史に興味を持つ人が増えたのはテンペストの力が大きい。
って、倉吉先生も平田部長もおっしゃってましたよ。
「現代版組踊もそうなんだけど、琉球史の入り口まで連れてくるのが役割」と部長。
「それなのに、史実と違うとか、文句をつける大人が多いんだよ」と倉吉先生。
「新聞の投書でもありましたねー」と私。
「県庁にも『史実と違う。あのままにしておいていいのか』と電話がかかってくるんですよ」と部長。

えーーーーーっ!?県庁に苦情電話!?

「フィクションなのにー?!」思わず絶叫する私。
「虚構と事実の区別がつかない人がいるわけさ」と倉吉先生。

水戸黄門や暴れん坊将軍に、史実と違うって文句を言う人がいるだろうか。
小説なのに、史実と違うって文句を言うトンチンカンな人は、
一度、認知症を疑ったほうがいいと思う。
虚構と現実の区別がつかないってことだからさ。

そして撮影は終わり、舞台は「座喜味島まるみぬ瓦家」へ。
対談の内容はめちゃくちゃ面白かったのですが、
それは4月16日発売の次号モモトにて!



取材終了後の記念撮影。

ってか、こんな記念撮影するの珍しいな。
取材者が有名人との記念撮影ってアホっぽいと思ってたけど、
やってみると素直にうれしかったりして。へへへ。
THE BOOMの宮くんと撮ってもらえばよかったよう。。。

座喜味グスクの入り口に転がっていた石を見て、倉吉先生が面白い話をしてくれた。
薩摩や江戸上りをするのに、座喜味親方らは座喜味グスクで航海安全を祈る。
無事に帰ってきた時、お礼参りをする。
その時、薩摩から持ってきた石燈篭の石がそれだという。
言われてよーく見ると、確かに沖縄の石ではない。でも言われてみないと気づなかった。

まてまてまて。この苔の生えた石は、綾船に乗ってここへ来たの!?
思わず触って、「よくきたねぇ」と言いそうになった。おばちゃん丸出し。

石灯籠の写真は読谷村HPにありました。
入り口にあったのは、こんな立派なのじゃないけどよ。
いやー、不勉強でした。知りませんでしたわー。

山田グスクの井戸のところにあった、碇として使っていたという石
その昔、中国大陸と琉球とを往復した船の、碇だったんだって。
「碇という字は石偏でしょ。昔は石でできていたからだよ」
と、聞いたアレも相当面白かった。

座喜味グスクの石も面白すぎた。
今度、どっか行ったら、転がってる石ばっかじろじろ見ちゃいそうだ。


というわけで、次号モモト、まだまだ取材は続く。
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