2013年11月01日
シンポジウム-『ハワイ日系2世兵士の見た戦争と沖縄』
さて、モモト16号ハワイ特集の中でも
「2世たちの第二次世界大戦」という記事を設けました。
ハワイで取材させてもらった、タケジロウさんとシンエイさんが、
11月末に沖縄へいらっしゃいます!(コーフン)
そんでもって、摩文仁の平和祈念資料館では、彼らを招いてのシンポジウムが開催されます!
わしは絶対行きます。この日は何もスケジュール入れないつもり!!
「2世たちの第二次世界大戦」という記事を設けました。
ハワイで取材させてもらった、タケジロウさんとシンエイさんが、
11月末に沖縄へいらっしゃいます!(コーフン)
そんでもって、摩文仁の平和祈念資料館では、彼らを招いてのシンポジウムが開催されます!
わしは絶対行きます。この日は何もスケジュール入れないつもり!!
以下、実施要項からまるっとペーストしてます。
1.目的
1945年3月末、激烈な戦火がこの沖縄を襲い3ヵ月に及ぶ「鉄の暴風」は、
島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊した。
20数万人の尊い命を奪い去った沖縄戦の歴史的教訓を次代に正しく伝え継承していくことは、
国内唯一の住民を巻き込んだ地上戦の場を経験した沖縄県民としての使命である。
戦後68年の経過と共に、戦争を遠い過去の出来事にしないため、
沖縄戦についての認識を深め、今一度、歴史の教訓から学び、
未来志向の平和を考える機会とする。
2.内容
1941年12月の真珠湾攻撃以降、
アメリカ人でありながら差別的待遇を受けた日系人の人権を回復するため、
アメリカに忠誠を誓った日系2世を中心に編成された陸軍情報部が
沖縄戦に参戦していた。
彼らは両親の祖国である日本、沖縄に銃を向けてしまうかもしれないという葛藤と、
敵性国人としても母国アメリカからの差別とも戦っていた。
アメリカ軍は、日本人の血が流れる彼らを太平洋戦線に利用しながらも、
日本と通じることがないよう現地では監視役の白人兵を帯同させていたという。
彼らの任務は、捕虜の尋問、資料の翻訳、住民の通訳という役割のほか、
ガマを周り投降を日本語で呼びかけ、
多くの沖縄住民を助け出したことは沖縄の住民の証言からも知られている。
しかし、我々は彼らがどのような境遇に置かれ、
どのような想いで投降を呼びかけていたのかということをあまり理解していなかったのではないだろか。
このシンポジウムでは、沖縄戦において、
両親の祖国に敵として複雑な思いで降り立ったハワイ日系2世、
タケジロウ・ヒガ氏、シンエイ・ギマ氏、ハーバート・ヤナムラ氏を迎え、
彼らがどんな想いで沖縄の地に降り立ったのかを、
我々沖縄県民が共有することにより、あらためて戦争の悲惨さ、愚かさを実感し、
平和について考える機会とする。
2.日時 平成25年11月30日(土)
13:30 受付・資料配付
14:00 ① 開会・主催者あいさつ、講師・参加者紹介(10分)
②-企画展実現までの経緯-
学芸班 功刀弘之(15分)
③沖縄戦での体験:各講演者より(30分X3名)
④パネルディスカッション(50分)
⑤第23回児童生徒の平和メッセージ入賞作品朗読
知念佐枝(県立開邦高等学校2年)(5分)
16:50 閉会
3.場所 沖縄県平和祈念資料館1階 祈念ホール 定員230名(無料)
4.主催 沖縄県(県平和祈念資料館)
共催 糸満白銀ライオンズクラブ
5.講演者 タケジロウ・ヒガ(ハワイ沖縄2世、元アメリカ陸軍情報部語学兵)
ハーバート・ヤナムラ(ハワイ日系2世、元アメリカ陸軍情報部語学兵)
シンエイ・ギマ(ハワイ沖縄2世、元アメリカ陸軍情報部語学兵)
功刀弘之(沖縄県平和祈念資料館 学芸班)
※言語は基本的に日本語です。
6.コーディネーター 島袋秀光(元沖縄県観光アドバイザー)
7.対象 一般県民の方 県内児童・生徒 学校関係者 他
8.申し込み
先着230名:特に申し込みは必要ありませんが、
当日は先着順に入場し座席におかけいただきますので、
定員になり次第入場を締め切ります。
定員オーバーすることが予想されますので早めのご来場をおすすめいたします。
タケジロウさんは、10代半ばまで沖縄で育ったこともあり、
島言葉も日本語も流暢で、沖縄戦の時は敵として恩師や同級生に会うという
もうホントに映画かドラマかというぐらいの稀有な体験をされています。
4月1日の上陸D-Day当日の早朝、
「どうしてウヤファーフジ(ご先祖さま)の地へ攻め入らなければならないか」
と、沖縄の島影を見ながら葛藤の涙を流された話。
ガマに向かって「んじてぃめんそーりよー(出てきてください)」と呼びかけた日々。
だけど、沖縄の人に向かって一発も弾を撃ったことはない、
自分のアタマと口を使って沖縄の人たちを助けたことが誇りだとおっしゃいます。
取材者の特権ですが、こういう話をご本人からナマで聴けるというのは、
他に例えようがない感動です。まじでまじで。
シンエイさんはこれまであまりご自分の体験を語ることがありませんでした。
ハワイ育ちの純2世で、沖縄戦で初めて祖先の地を踏んだわけですが、
実は祖母と弟(5歳で沖縄へ渡り、以後は沖縄育ち)を探すというプライベートな目的もありました。
久米島で日本軍の武装解除に立ち会うなど歴史的な経験もされています。
おばあさまは無事でした。弟さんはなんと、二中鉄血勤皇隊として沖縄戦を戦っており、
シンエイさんが弟さんが収容されていた戦争捕虜収容所を探し当てた時には
すでにハワイへと送還された後だったのです。(わしゃこの話をハワイで聴いた時は泣いたよ)
…でも、続きは、モモトまたは11月30日のシンポジウムで!
沖縄平和祈念資料館では、企画展『ハワイ日系移民が見た戦争と沖縄』も開催中です。
①期間:平成25年10月10日(木)~12月8日(日)
場所:沖縄県平和祈念資料館 1階企画展示室
なんと!10・10空襲からパールハーバー(日本時間で12月8日未明。ハワイ時間では12月7日)までの開催じゃないか。
ずいぶん粋なことしますね、功刀さん(笑)。
1.目的
1945年3月末、激烈な戦火がこの沖縄を襲い3ヵ月に及ぶ「鉄の暴風」は、
島々の山容を変え、文化遺産のほとんどを破壊した。
20数万人の尊い命を奪い去った沖縄戦の歴史的教訓を次代に正しく伝え継承していくことは、
国内唯一の住民を巻き込んだ地上戦の場を経験した沖縄県民としての使命である。
戦後68年の経過と共に、戦争を遠い過去の出来事にしないため、
沖縄戦についての認識を深め、今一度、歴史の教訓から学び、
未来志向の平和を考える機会とする。
2.内容
1941年12月の真珠湾攻撃以降、
アメリカ人でありながら差別的待遇を受けた日系人の人権を回復するため、
アメリカに忠誠を誓った日系2世を中心に編成された陸軍情報部が
沖縄戦に参戦していた。
彼らは両親の祖国である日本、沖縄に銃を向けてしまうかもしれないという葛藤と、
敵性国人としても母国アメリカからの差別とも戦っていた。
アメリカ軍は、日本人の血が流れる彼らを太平洋戦線に利用しながらも、
日本と通じることがないよう現地では監視役の白人兵を帯同させていたという。
彼らの任務は、捕虜の尋問、資料の翻訳、住民の通訳という役割のほか、
ガマを周り投降を日本語で呼びかけ、
多くの沖縄住民を助け出したことは沖縄の住民の証言からも知られている。
しかし、我々は彼らがどのような境遇に置かれ、
どのような想いで投降を呼びかけていたのかということをあまり理解していなかったのではないだろか。
このシンポジウムでは、沖縄戦において、
両親の祖国に敵として複雑な思いで降り立ったハワイ日系2世、
タケジロウ・ヒガ氏、シンエイ・ギマ氏、ハーバート・ヤナムラ氏を迎え、
彼らがどんな想いで沖縄の地に降り立ったのかを、
我々沖縄県民が共有することにより、あらためて戦争の悲惨さ、愚かさを実感し、
平和について考える機会とする。
2.日時 平成25年11月30日(土)
13:30 受付・資料配付
14:00 ① 開会・主催者あいさつ、講師・参加者紹介(10分)
②-企画展実現までの経緯-
学芸班 功刀弘之(15分)
③沖縄戦での体験:各講演者より(30分X3名)
④パネルディスカッション(50分)
⑤第23回児童生徒の平和メッセージ入賞作品朗読
知念佐枝(県立開邦高等学校2年)(5分)
16:50 閉会
3.場所 沖縄県平和祈念資料館1階 祈念ホール 定員230名(無料)
4.主催 沖縄県(県平和祈念資料館)
共催 糸満白銀ライオンズクラブ
5.講演者 タケジロウ・ヒガ(ハワイ沖縄2世、元アメリカ陸軍情報部語学兵)
ハーバート・ヤナムラ(ハワイ日系2世、元アメリカ陸軍情報部語学兵)
シンエイ・ギマ(ハワイ沖縄2世、元アメリカ陸軍情報部語学兵)
功刀弘之(沖縄県平和祈念資料館 学芸班)
※言語は基本的に日本語です。
6.コーディネーター 島袋秀光(元沖縄県観光アドバイザー)
7.対象 一般県民の方 県内児童・生徒 学校関係者 他
8.申し込み
先着230名:特に申し込みは必要ありませんが、
当日は先着順に入場し座席におかけいただきますので、
定員になり次第入場を締め切ります。
定員オーバーすることが予想されますので早めのご来場をおすすめいたします。
タケジロウさんは、10代半ばまで沖縄で育ったこともあり、
島言葉も日本語も流暢で、沖縄戦の時は敵として恩師や同級生に会うという
もうホントに映画かドラマかというぐらいの稀有な体験をされています。
4月1日の上陸D-Day当日の早朝、
「どうしてウヤファーフジ(ご先祖さま)の地へ攻め入らなければならないか」
と、沖縄の島影を見ながら葛藤の涙を流された話。
ガマに向かって「んじてぃめんそーりよー(出てきてください)」と呼びかけた日々。
だけど、沖縄の人に向かって一発も弾を撃ったことはない、
自分のアタマと口を使って沖縄の人たちを助けたことが誇りだとおっしゃいます。
取材者の特権ですが、こういう話をご本人からナマで聴けるというのは、
他に例えようがない感動です。まじでまじで。
シンエイさんはこれまであまりご自分の体験を語ることがありませんでした。
ハワイ育ちの純2世で、沖縄戦で初めて祖先の地を踏んだわけですが、
実は祖母と弟(5歳で沖縄へ渡り、以後は沖縄育ち)を探すというプライベートな目的もありました。
久米島で日本軍の武装解除に立ち会うなど歴史的な経験もされています。
おばあさまは無事でした。弟さんはなんと、二中鉄血勤皇隊として沖縄戦を戦っており、
シンエイさんが弟さんが収容されていた戦争捕虜収容所を探し当てた時には
すでにハワイへと送還された後だったのです。(わしゃこの話をハワイで聴いた時は泣いたよ)
…でも、続きは、モモトまたは11月30日のシンポジウムで!
沖縄平和祈念資料館では、企画展『ハワイ日系移民が見た戦争と沖縄』も開催中です。
①期間:平成25年10月10日(木)~12月8日(日)
場所:沖縄県平和祈念資料館 1階企画展示室
なんと!10・10空襲からパールハーバー(日本時間で12月8日未明。ハワイ時間では12月7日)までの開催じゃないか。
ずいぶん粋なことしますね、功刀さん(笑)。